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週刊スモールトーク (第133話) ユダの福音書(4)~ユダの裏切りの理由~

カテゴリ : 思想

2009.10.17

ユダの福音書(4)~ユダの裏切りの理由~

■ユダの死

新約聖書によれば、ユダの最期は悲惨だ。

・ユダはイエスを裏切った後、首をつって死んだ~マタイによる福音書~

・ユダは体が真ん中から裂け、はらわたが飛び出て死んだ~使徒言行録~

なんともおぞましい最期だが、これが新約聖書の共通見解というわけではない。ユダの死が記されていないもの、さらに、ユダの記述がないものある。とはいえ、「ユダ」が登場すれば、必ず、非難、罵倒の嵐。中でも最悪は、

・生まれてこなかった方が、その者のためによかった~マルコによる福音書~

一方、ユダの裏切りには謎が多い。新約聖書によれば、イエスキリストは神の子。もうしそうなら、神の目ですべてお見通し、ユダの裏切りも予測できたはずだ。ところが、イエスはユダによってローマの官憲に引き渡され、ゴルゴダの丘で磔(はりつけ)にされた。一方、イエスは人間の罪を背負うために、あえて磔(はりつけ)にされたという説もある。では、永遠の裏切り者にされたユダの立場はどうなる?

じつは、ここに新約聖書の矛盾がある。

新約聖書によれば、イエスの教えは「比類なき絶対愛」であり、もし、それが本当なら、どんな崇高な目的があったにせよ、自分の弟子をおとしめるはずがない。もちろん、イエスがユダにだまされたのなら話は別だが。だが、そうなると、今度は、

「イエス=神の子」

に矛盾する。全知全能の神の子が、人間にだまされるわけがないから。

もっとも、宗教は本来、こんな思弁的なアプローチはとらない。創始者や聖人の経験を絶対的真実とし、

考える前に信じなさい

しかし、この世界は因果の法則=論理」で運用されているのは確かである。思弁的アプローチを放棄すれば、真実への道は閉ざされる。

■ユダの福音書【聖なる世代】

2006年に解読を終えたユダの福音書は、正統派が忌み嫌うグノーシス主義の異端の聖書だ。タイトルが示唆するように、ユダは聖人とされ、その他の12使徒、それに続く正統派キリスト教会は糾弾される。イエスの名を語り、人々をたぶらかし、世界を破滅に導く偽りの支配者として。そして、審判の日には、みんな地獄に堕とされるのだという。

ユダの福音書には、もう一つテーマがある。世代について。人間は「聖なる世代」と「人間の世代」にわかれ、前者は不滅の魂をもち、後者は肉体が死んだ時、魂も滅ぶという。具体的にみていこう。

ユダの福音書・・・

ユダは、イエスに言った。
「先生、あの世代(聖なる世代)は、どのような実りをもたらすのですか」

イエスは言った。
「あらゆる人間の世代の魂は死ぬ。しかし、聖なる世代の人たちは、地上の時を終えても、肉体が死ぬのであって、魂は死なず、天へ引き上げられる

ユダは言った。
「では、他の人間の世代はどうなるのでしょうか」

イエスは言った。
岩に蒔いた種から実りを収穫することはできない」

岩の上に蒔かれた種は、実を結ばない。つまり、「聖なる世代」以外の人間は、死んだら、おわり。一方、ユダの福音書のどこを読んでも、2つの世代を見分ける方法が記されていない。それがせめてもの慰めだが。

■ユダの福音書【ユダの星】

ユダの福音書は、イスカリオテのユダの名を冠する。そのため、ユダは他の12使徒より位格が上位におかれている。ところが、ユダの福音書によれば、ユダが初めから聖人だったわけではない。

ユダの福音書・・・

ユダはイエスに言った。
「私は幻の中で、あの12人の弟子たちが私に石を投げて、私のことをひどく虐げるのを見ました」

この幻は、ユダが他の弟子たちに裏切り者よばわりされる未来を暗示している。

ユダはつづけて、
「私は家を見ましたが、それは目で測ることができないほど大きなものでした。大いなる人々がその家を取り巻いていて、その家には草の屋根があり、家の真ん中では群衆が・・・先生、私を連れて行ってあの人々の中に加えてください」

イエスは言った。
「ユダよ、お前の星はお前を道に迷わせてしまった。死を免れない生まれの者は、お前が見たあの家の中に入るに値しない。あそこは聖なる人々のために用意された場所なのだから」

ユダが見た「あの家」は「聖なる世代」のための場所であり、ユダに入る資格はないと言っているように取れる。とすれば、ユダは初めは、「聖なる世代」ではなく「人間の世代」に属していたことになる。

イエスは言った。
お前は13番目となり、のちの世代の非難の的となり・・・そして彼らの上に君臨するだろう。最後の日々には、聖なる世代のもとに引き上げられるお前を彼らは罵るだろう」

この部分は重要である。通説では、ユダの死んだ後、マティアが12番目の使徒となる。そのためか、ここで、イエスはユダを13番目の使徒と呼んでいる。さらに、ユダは後世の非難を浴びるが、審判の日には「聖なる世代」に引き上げられるという。やはり、ユダは元は「人間の世代」だったのだ。では、なぜ、ユダは後世の非難をあび、最後に特別枠で「聖なる世代」に引き上げられたのか?

グノーシス派によれば、

・この物質世界は、我々を肉体に閉じこめておく邪悪な世界である。

・救済とは、この物質世界から逃れ、天の家に還ることである。

また、ユダの福音書の中に、
「だがお前は真のわたしを包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」
というくだりがある。

この2つから、次の解釈がなりたつ。ユダがイエスを裏切ることで、イエスが磔刑に処せられ、肉体から解放される。それはイエスの救済を意味し、その功績により、ユダは「聖なる世代」に引き上げられる。

■ユダの福音書【世界の始まり】

ユダの福音書には、この世界の誕生についても記されている。「ヨハネの黙示録」ほどではないが、抽象的で難解だ。解釈しだいで、どのようにも取れる。しかも、矛盾もある。ただ、旧約聖書とは内容が食い違うことだけは確かだ。

ユダの福音書・・・

はじめに、無限に広がる御国があった。それは、天使たちでさえ見たことのないほど広大である。そこに、目で見ることができない至高神(霊)があった。それは、天使たちでさえ見たことがなく、どんな思念によっても理解されず、いかなる名前でも呼ばれたことがない。

ここに登場する「至高神」は、旧約聖書の「唯一絶対神」ではない。ユダの福音書によれば、旧約聖書の神はこの世界を創造したが、その上位に無数の神々や天使がいて、その頂点に「至高神」がある。グノーシス派と正統派の主張はここでも大きく食い違う。

ユダの福音書・・・

そこに、輝く雲(神の出現をあらわす)が現れた。至高神は言った。
「1人の天使を、わたしの仕え手として生じさせよ」
1人の天使を生じさせた。それが、大天使、神、「自ら生まれた者」である。さらに、4人の天使が別の雲から生じ、天上にある自ら生まれた者の仕え手となった。

「自ら生まれた者」は自力で生じた存在を意味するが、至高神の意志よって生まれたとも書かれている。一見矛盾しているように見えるが、至高神は個々の存在を生む場(フィールド)と考えれば、「自ら生まれた者」をこの世界の起源としてもおかしくはない。実際、ユダの福音書では、「自ら生まれた者」は一人しか登場しない。

また、ユダの福音書には明記されていないが、「4人の天使」とは正統派キリスト教のミカエル、ラファエル、ガブリエル、ウリエルの4大天使をさすのかもしれない。「4」という数字は、古代ギリシャの4大元素(火・水・土・空気)とも関係がある。4大元素は、世界を構成する基本元素で、新しく生まれることも、消滅することもない。つまり、現代の陽子、中性子、電子にあたる。もっとも、最近は、「陽子崩壊」の可能性が指摘され、もし本当なら、宇宙にも寿命があることになる(これは余談)。

哲学者プラトンも、このアイデアが気に入ったようで、4大元素説を自分なりに発展させている。グノーシス派が、プラトン哲学を継承しているのは確かだが、正統派もちゃっかり「4」を拝借している。ということで、哲学にせよ宗教にせよ、過去の成果物のパッチワークに過ぎない。つまり、完全無欠のオリジナルなど存在しない。

ユダの福音書・・・

「自ら生まれた者」は、第一の輝く者を創造し、それに仕えさせるため、数万の天使が生じた。「自ら生まれた者」は、さらに、「照り輝くアイオーン」を生じさせた。アイオーンは彼の上に君臨させるために、第二の輝く者を創造し、それに仕えさせるため数万の天使を生じた。「自ら生まれた者」は、同じようにして、他の照り輝くアイオーンをも創造した。

複雑なので、図式する。つぎのような感じ。

[至高神]-[自ら生まれた者]-[4人の天使]

[自ら生まれた者]
    |-[第一の輝く者]-[数万の天使]
    |-[照り輝くアイオーン]
         |-[第二の輝く者]-[数万の天使]

注目すべきは、「至高神」と「自ら生まれた者」だけがシングルトン(一枚札)で、それ以外の天使や神々(アイオーン)は複数存在すること。

■ユダの福音書【アダマス】

ユダの福音書では、続いて「アダマス」という新しいキャラが登場する。「原典ユダの福音書」(※)の解釈によれば、明確に「アダマス=アダム」だが、腑に落ちない。理由は次の一文。

アダマスは、天使でさえ見たことのない第1の輝く雲の中で、神々に囲まれていた。

「第1の輝く雲」とは、先の「自ら生まれた者」が生じた場である。この一文からすれば、
「アダマス=人類第1号のアダム」
はありうる。ところが、その後を読むと、「アダマス」は、たくさんの神々や天使を生じさせている。人類第1号の「アダム」は、創る側ではなく、創られる側では?ただ、原典のこの部分は、判読できない箇所が多く、主語もうまく読み取れない。そこで、ムリに解釈すれば、次のようになる。

アダマスは、至高神の意志に従って、不滅の世代を出現させた。その不滅の世代の中に、12の輝く者たちを出現させた。この12の輝く者の12のアイオーン(神の場、神的存在)が、すべての父となった。次に、アダマスは、72の輝く者たちを、至高神の意志に従い、不滅の世代の中に出現させ、72の天が生じた。(1つのアイオーンには6つの天があるので、全部で12×6=72)。

次に、72の輝く者たちは、360の輝く者たちを、至高神の意志に従い、不滅の世代の中に出現させ、360の大空が生じた(1つのアイオーンに6つの天があり、1つの天に5つの大空があるので、全部で12×6×5=360)。先の12の輝く者の12のアイオーンは、これら360の輝く者たちの父である。

ややこしいので、この部分も図式化する。

【第1階層】

[アダマス]-[不滅のセツの世代]

【第2階層】

[不滅のセツの世代]-[アイオーン]×12

[アイオーン]×12-12の輝く者

【第3階層】

[アイオーン]×12-[天]×6

[天]×6-72の輝く者

【第4階層】

[天]×6-[大空]×5

[大空]×5-360の輝く者

この図の中の、第1階層から第4階層のすべてが「不死の者」。ただし、第4階層とその上位層(第1階層~第3階層)の間には、大きな断層がある。上位層は、第4階層を「宇宙=破滅」と呼んでいるからだ。ここで言う宇宙とは、われわれが住む世界。天の御国とは違い、朽ち果てていくもの、だから破滅の王国。

■ユダの福音書【天地創造】

第4階層、つまり、この宇宙で、第1の人間が不滅の諸力とともに現れた。彼の世代(不滅の世代ではない)とともに現れたアイオーンの呼び名が「エル」である。そして、ここから、グノーシス派が邪神と糾弾する世界の創造主が出現する。

ユダの福音書・・・

そして見なさい、あの雲から姿を現した1人の天使を。その顔は炎で輝き、その姿は血で汚れている。彼の名は「ネブロ」と言ったが、それは「反抗する者」という意味である。別の人々は彼を「ヤルダバオート(混沌の子)」と呼ぶ。もう一人の天使「サクラス(愚か者)」もまた、その雲からやってきた。そこで、ネブロはサクラスとともに、6人の天使を創造して助手とし、それらが諸天に12の天使を生みだし、そのそれぞれが諸天の分け前を受け取った(※)

次にサクラスは、彼の天使に向かって、
「われわれの姿かたちをそっくりまねて人間を造ろう」
と言った。彼らはアダムとその妻エバ(イヴ)を造り上げた・・・そして、支配者(デミウルゴス)はアダムに言った。
「おまえは生きながらえ、子供達を残すだろう」(※)

ここに登場する創造主「ヤルダバオート」は、プラトンが記した創造神「デミウルゴス」のパクリ。ユダの福音書を含め、グノーシス主義がプラトンの影響を受けていることは確かだ。それはさておき、この世界を創造し、最初の人間アダムとイブを造ったのは、「全知全能の唯一神」ではなく、反抗する者、混沌の子・・・まるで、「滅びの子=悪魔」扱い。ユダヤ教にせよ、キリスト教にせよ、正統派が容認できるものではない。

ただ、最後の
「おまえは生きながらえ、子供達を残すだろう」
は、旧約聖書の
「生めよ、増えよ、地に満ちよ」
を彷彿させる。正統派とグノーシス派の主張が一致するはこれくらい?

また、他のグノーシス派の文書には次のような記述がある。

5つの輝く者は、ヤルダパオートに言った。
「あなたの霊の一部をアダムの顔に吹きこみなさい。そうすれば、彼の体は立ち上がるだろう」
ヤルダバオートは霊をアダムに吹きこむと、アダムの体は動き出した。

ここで、5つの輝く者とは、先の図の第4階層、つまり、天を構成する5つの大空に相当する。ユダの福音書は、他のグノーシス文書同様、第4階層でアダムとイブが造られた点で一致している。ということで、
アダマス≠アダム

■ユダの福音書【サクラスの運命】

ユダの福音書の中で、イエスは、サクラスの恐ろしい末路も予言している・・・

彼らは、約束したことを成就し、わたし(イエス)の名において、姦淫し、彼らの子供たちを殺した後、そのすべてが、そこに生きる生き物たちとともに滅ぼされるだろう。

意味するところは・・・

邪神は使命を果たし、イエスの名のもとに悪事の限りを尽くすが、やがて、生きとし生けるもの、もろとも滅ぼされる。最後に、イエスはユダに伝える。

ユダ、サクラスに犠牲をささげる人々・・・邪悪なるすべてのもの。だが、お前は真のわたしを包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう。
・・・
支配者たちは滅ぼされるだろう。そしてそのとき、アダムの大いなる世代の像は高みに上げられる。なぜなら、天、地、天使たちが存在するより前に、永遠の王国からやってきたあの世代が存在するからである(セツの世代は神に由来する先在的世代だということ)。

さあ、これでお前にすべてを語ったことになる。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」

ユダは、イエスを肉体から解放し、それによって、他の弟子たちを超える存在になる。そして、邪神は滅び、アダムの大いなる世代が高みに上げられると結んでいる。

■ユダの福音書【ユダの裏切り】

そして、いよいよ、ユダの福音書の結末、ユダがイエスを裏切るシーン・・・

大祭司たちは不平を言った。彼(イエス)が部屋に入って祈りを捧げていたからである。しかし、何人かの律法学者たちはそこにいて、祈りの間に彼(イエス)を捕らえようと注意深く見張っていた。彼が皆から予言者とみなされ、彼らは民衆を恐れていたからである。

彼らはユダに近づいて言った。
「お前はここで何をしているのか。お前はイエスの弟子ではないか」
ユダは彼らの望むままに答えた。そしていくらかの金を受け取り、彼(イエス)を彼らに引き渡した(※)

これだけ?

それでも、ユダがイエスをカネで売ったことは認めている。新約聖書とユダの福音書では、ユダの評価は真逆だが、この点では一致している。ということで、ユダがイエスを裏切ったことは間違いなさそうだ

ユダの福音書は、矛盾もあるし、古典からのコピーもある。しかも、内容はとことん挑発的。とはいえ、1500年前の古文書というカリスマがあるので、思想書と割り切れば、興味もわく。それでも疑問は残る。イエスもユダも存在したとして、なぜ、ユダがイエスを裏切ったのか?ユダの福音書はさておき、もっと、深淵な神の計画があったのかもしれない。

《完》

参考文献:
(※)「原典ユダの福音書」ロドルフ・カッセル、マービン・マイヤー、グレゴール・ウルスト、バート・D・アーマン編集/日経ナショナルジオグラフィック社

by R.B

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