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週刊スモールトーク (第150話) 心の病気(4)~トラウマ~

カテゴリ : 社会科学

2010.12.19

心の病気(4)~トラウマ~

■復讐するトラウマ

故郷にUターンした後、しばらくして、ヘンな夢を見るようになった。3ヶ月に1度ぐらいのペースなのだが、それが今でも続いている。

その夢とは・・・

仲間がいる。いつもいっしょに遊んだ仲間だ。懐かしい記憶がよみがえる。ところが、話しかけると、みんな離れていく。そして、こっちを見ながら、楽しそうに談笑している。自分だけ”のけ者”なのだ。昔、あんな仲が良かったのに、なぜ?寂しさが心の底からこみあげてくる・・・

そこで、眼が覚める。世界を覆うほどだった寂しさも、いつの間にか消えている。現実は仲間がいなくても寂しくないし、むしろ、一人でいるほうが心地良い。ではなぜ、繰り返し、繰り返し、あんな夢を見るのだろう。最近、そのヒントになる出来事があった。

今、勤務している会社では、入社試験で適性検査を行っている。使用しているのはS社の質問紙法。質問形式のペーパーテストで、知的能力とパーソナリティ(性格)を測定する。業界では精度が高いことで知られている。その検査結果を読み解くセミナーがあったので、参加することにした。ところが、受講を申し込むと、
「セミナーを受講する前に、ご自身も適性検査を受けてください」

という。興味津々、さっそく、受けてみた。ところがやたら難しい・・・性格検査でこんな悩むとは思わなかった。

その後、S社の分析官と面談する機会があったので、自分の検査結果をみてもらった。結果は・・・あっと驚く的中率。適性検査をただの性格判断と考えてはいけない。その究極の目的は、
「適性検査を通して、その人の行動を予測する」

そして、分析官が検査結果から読み解いた未来は、まさに自分が歩んできた人生そのものだった。つまり、適性検査の予測と現実が一致したのである。驚いたのはそれだけではない。その中に、冒頭の夢のヒントまで見つけたのである。

現在、適性検査といえば、R社とS社が有名だ。これまで、R社のシェアがダントツだったが、最近はS社が追い上げているという。R社の検査は、フロイトやユングの心理学をベースにしている。なので、どちらかというと、抽象的、概念的。一方、S社は行動科学と統計学をベースにしている。つまり、サイエンス。その違いが、的中率の差となって現れるのかもしれない。

S社の適性検査は、パーソナリティ(性格)を32の因子に分け、それぞれ測定する。その測定値(スコア)を読み解き、人間の行動を予測するわけだ。その因子の一つが「友好性」だが、そこに、冒頭の夢のヒントを見つけたのである。「友好性」のスコアは、10点中2点で、「友好性がゼンゼンない」。S社のコメントによると、
「1人でいることを気楽に感じる。1人で過ごす時間を大切にし、人が一緒にいなくても寂しくない

現実の自分そのままだ。診断結果と自分の認識が完全に一致している。では、なぜあんな夢を見るのだろう?

そこで、過去を慎重に思い出してみた。大学時代、友人は多かった。というか、いつも友人といっしょだった。1学科40人なので、すぐに顔を覚えられたし、いつも和気あいあい。授業の後、車で分乗して、ドライブに行ったり、大学祭ではソフトボール大会の常連だった。麻雀は毎日、たまにすき焼きパーティ、クラスの飲み会もよくやった。

特に仲の良い友人も数人いて、1人でいることはほとんどなかった。友人が遊びに来るか、こっちが行くか、とにかく、いつも仲間といっしょだった。ある友人の部屋では、1つのティーパックを何十杯も使い回すので、紅茶の味がしなかった。それでも、みんなうまそうに飲みながら、話が途切れることはなかった。そんな楽しい大学生活もあっという間に過ぎていった。

卒業式の日、友人の1人が言った。
「人生の楽しい時期は終わったなぁ」

ところが、そうでもなかった。卒業後、電子機器メーカーに就職したが、同期や寮の先輩など、たくさんの仲間に巡り会えたのである。

寮の隣の部屋の先輩は、リコーダーとフルートのセミプロで、ヤマハのコンサートマスター(三鷹地区)をしていた。その隣の部屋には、プロはだしのギタリストがいて、2人でよくアンサンブルを楽しんでいた。毎日、素晴らしい生演奏を聴きながら、音楽や技術や哲学について語り合う・・・まるで大学生活の延長だった。違いといえば、給料がもらえること?

週末になると、同期の仲間と吉祥寺にくりだし、飲み歩いた。その後、寮に帰って、朝まで麻雀大会。仲間といるのが楽しくてしかたがなかった。配属先が、魚群探知機やソナーを開発する部著で、大学時代の勉強よりずっと面白かった。つまり、なにもかもがハッピーだったのである。

ところが、2年後、転機が訪れた。親の希望で、故郷にUターンしたのである。覚悟はできていたが、これまでのような仲間をつくることはできなかった。興味の対象も、考え方も、意識も、まるで違ったのである。こうして、心を割って話せる仲間はいなくなった

さて、ここからが問題の核心・・・

本当は、仲間といるのが大好きなのに、それはもう望めない。そこで、心の痛みを感じないように、何かが「友好性」の因子を書き換えた?つまり、パーソナリティのオーバーライド。その結果が、
「ひとりでいることを気楽に感じる。ひとりで過ごす時間を大切にし、人が一緒にいなくても寂しくない」

ここで留意すべきは、S社の適性検査は偽装できないことだ。もし、偽装すれば、検査項目「一貫性」で明らかになるから。その「一貫性」だが、9点/10点。S社のコメントによれば、
「この人の答え方は非常に一貫しています」

つまり、ウソはついていない。これで、「有効性が著しく低い」は証明された。

ということは・・・

Uターンして、仲間を失うことで、心の奥底にトラウマ(心的外傷)が生まれた。そこで、傷を癒すため、あるいは、その痛みを感じないよう、何かが、「孤独を好む」パーソナリティに書き換えた(心のオーバーライド)。ところが、トラウマは反撃に出る。潜在意識をたきつけ、夢を支配し、仲間との楽しかった日々、それが破綻するシーンを見せつけて、トラウマの存在を誇示しているのだ。トラウマ自身が抹殺されないように。

■トラウマとは?

2005年4月25日、JR西日本福知山線で脱線事故が発生、107名が死亡する大惨事となった。そして、事件後も、乗客や追突されたマンションの住人が、「心的外傷後ストレス障害(PTSD)」を発症し、大きな問題になった。

このように、人間は辛い体験をすると、心に深い傷をうけることがある。これがトラウマ(心的外傷)だ。このトラウマが原因で、体験後に深刻なストレス障害を引き起こすのが「心的外傷後ストレス障害」。もし、それが1ヶ月以上続けば、「PTSD」となる。そして、ほとんどが後者にいたる。

症状としては、不安や不眠。さらに、原体験(原因となった体験)に結びつくものを避けるようになる。また、原体験の記憶が、睡眠時や覚醒時に再現されるフラッシュバック・・・結果、うつ病と同じような症状が表れる。

トラウマや心的外傷後ストレス障害(PTSD)の最大の特徴は、人を選ばないことである(遺伝的要素は少ない)。しかも、先の脱線事故のような大惨事でなくても起こりうる。その例として、個人的なトラウマ体験をもう一つ紹介する。トラウマの計り知れないパワーを示唆するものだ。

■記憶を書き換えるトラウマ

この体験は、
1.お気軽な人間でもトラウマになりうる。
2.授業はちゃんと出席すること。

この2つの教訓を示唆するものである。

大学(電気工学科)に入って、すぐに勉強への興味を失った。高校までの勉強は根性は不要だったのに、大学の理数科目は意識して集中しないと理解できない。本来、怠け者なので、これに耐えられなかった(今は改心している)。

そこで、午後から大学に行き、学食で240円のランチ食って、麻雀の面子(メンバー)をかき集め、夜の12時まで麻雀大会。それから、下宿に帰って、友達と朝まで人生談義。というわけで、出席が必要な語学と実験を除いて、授業にはほとんど出なかった。もちろん、せっかく入学したのだから、卒業はしたい。とはいえ、長居もしたくない。というわけで、「4年で卒業する」だけを目標においた。ところが、授業に出ないので試験が大変だった。

記憶によれば・・・

試験期間に入ると、デスマーチ(死の行進)が続いた。ん~わからん、時間がない、留年したらどうしよう、こんな恐怖感にさいなまれた。そんなくらいなら、授業に出たら?こちらは、もう一つの心の病気「授業にでない依存症」ということで。

結果、なんとか、4年で卒業したものの、勉強は身につかなかった(一撃の集中力はついたが)。その後、コンピュータと出会い、人生は開けたが、それがなければドツボの人生だった。今とあんまり変わらない?まぁ、それでも一応、試練?は乗り越えたわけだ。ところが、大学を卒業して10年ほど経って、ヘンな夢を見るようになった。

その夢とは・・・

今は大学の4年生。取得した単位を数えるとゼンゼン足りない!えー、あと1年もないのに、なんで今まで気づかなかった?あー、ゼンゼン記憶にない。恐怖がこみ上げてくる・・・

(シーンが変わって)

朝、目を覚ますと、午前11時。わー、今日は原子物理学のテスト!もう試験は始まってるし、今から自転車とばしても、大学まで20分はかかる。どうしよう、でも行くしかない。だけど、40分で答案書ける?恐怖がこみ上げてくる・・・(これは実体験なのでフラッシュバック?でも現実はギリギリ合格したのになぜ?)

(また、シーンが変わって)

大学の掲示板の前に立っている。あれ、化学××の試験がもう終わってる!いつのまに?必須科目なのに・・・あー、もうダメ、留年だ。

(しばらくして)

あれ、まてよ、確か大学は卒業したはずだ。卒業式の日に、クラスの連中と酔いつぶれて、大学院の先輩に車で下宿まで送らせて・・・思い出した!おかしい、これ夢じゃないか?

(ここで目が覚める)

この夢は、原体験から10年後に始まり、今でも半年に1度のペースで見ている。きっと、死ぬまで見せられるのだろう。授業をさぼっただけなのに。

しかし・・・

冷静に大学時代を振り返ると、楽しい思い出ばかり・・・解せない。そこで、大学時代の日記を調べてみた(中学生の頃から日記をつけている)。すると、意外なことに、試験で苦しんだ記述がない!確かに、語学と実験以外は授業に出ていない。ところが、試験勉強は10日前から始めているので、時間に余裕はある。さらに、勉強方法が徹底している。

日記によれば・・・

まず、ドイツ語。これには特技があった。訳本を買い、一通り読む(内容を把握)。次に教科書をゆっくり2回音読する(発音は適当)。これで、原文と訳が頭に入った(今はムリ)。このインチキ芸のおかげで、確かドイツ語は全部「優」だった。

次に、実験のリポート。これは、友人のリポートを丸写しにした(もう時効)。この友人は、今でも、毎年のように金沢に遊びに来る。大学時代の麻雀メンバーの1人で、大事な遊び友だちだった。それが今では、巨大企業の特許部長。ずいぶん、差が開いたものだ。それはさておき、持つべきは良き友人である。

人文系科目。人文系の先生は、工学部の学生には甘かった。日本史の試験で、問題がさっぱりわからなかったので、世界史をテーマに持論を展開したら、”可”で合格した。当時はラッキーだと思ったが、じつは幸運でも何でもない。親に授業料を出してもらって、学ぶチャンスがあったのに、何も学ばなかったのだから。

理工系科目。始めから60点/100点を目標に、出る確率の高いものからおさえていった(優先順位は友人・先輩から聞いた)。先ず、問題を解いて、理解できない部分だけ教科書の本文を読む。2度読んで分からないなら丸暗記。だから、あまり苦労していない。

・・・

一体どういうことだ?トラウマになるような原体験はまったくない。ただ、1つだけ心当たりがある。

もともと、電気工学科を選んだのは、
1.TVドラマ「タイムトンネル」を観て、タイムマシンを作りたいと思った。
2.TVドラマ「宇宙家族ロビンソン」を観て、光速宇宙船を作りたいと思った。

”やる気”以前に、アタマ大丈夫か?と言われそうだが、昔はこんなのがけっこういた。知ってる中で一番のおバカは、航空工学科(京大)に行った奴。学科の選択理由は、
「宇宙人が攻めてくる。地球防衛軍を作らねば・・・」
(ムリに面白くしているのはでなく、本当の話)

まぁ、どっちもどっちだが、妄想で進路を決めても、後がよくない。ところが、大学を卒業して10年経った後、電気工学の重要性が身にしみるようになった。そして今では、地球文明は電気革命まっただなか。あぁ~、大学時代に勉強しとけば良かった。千載一遇のチャンスだったのに。一体どれだけバカなんだ!

つまり・・・

大学時代の不勉強は、その時は、心の傷にはならなかった。ところが、それから10年経って、死ぬほど悔いたのである。そして、審判の日、それは起こった。恐ろしいトラウマが生まれ、大学時代の記憶を消し去り、新しい記憶に書き換えたのだ。

「大学時代→不勉強→留年の恐怖→大学時代は辛かった」

この偽装された記憶は、潜在意識の中でも、既成事実となり、夢の中で自分を責め続けている。

さて、トラウマの正体は明らかになった。トラウマはただの心の傷ではない。トラウマの使命は”存続”にある。だから、トラウマを否定(抹殺)しようとすれば、あらゆる手段で反撃してくる。夢で脅したり、記憶を改ざんしたり・・・まさに、心の怪物。こんなトラウマを克服することなど、本当にできるのだろうか?

《つづく》

by R.B

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