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 週刊スモールトーク (第3話) カリブの海賊 〜ポートロイヤルの呪い〜

カリブの海賊 〜ポートロイヤルの呪い〜

■パイレーツ オブ カリビアン■
 2004年、映画『パイレーツ オブ カリビアン』が日本でも公開された。欧米世界で人気のカリブの海賊ものである。人気俳優のジョニー デップが、とぼけたカリブの海賊役を演じ、女性に好評だったし、CGと実写のハイブリッドな映像もなかなかリアルだった。
 ところで、この映画のサブタイトルは『呪われた海賊たち』だが、映画の舞台となった港町ポートロイヤルもまた『呪われた町』であった。そして、こちらのほうは、れっきとした史実である。

 ヨーロッパ世界で、ポートロイヤルは『新世界のソドム』と言われるほど縁起の悪い町である。ここでいう『新世界』とは、南北アメリカ大陸をさしている。むろんヨーロッパ人の造語で、ヨーロッパもアメリカも歴史の古さに変わりはない。そして、ソドムといえば、旧約聖書に登場する悪徳の町。神の怒りを買い、住民、建物、文化、世界まるごと焼きつくされた町だ。

 旧約聖書 創世記によれば・・・ロトとその家族はソドムの町に住みついた。ソドムの人々は悪徳のかぎりをつくしたので、神はソドムとその隣の町ゴモラを滅ぼすことにした。神はロトに、2人のみ使いをつかわし、それをつたえた。み使いはロトに言った。「あなたの妻と2人の娘たちをつれて、急いで町を出なさい。そして命がけで丘まで逃げなさい。そうすれば、あなたがたは殺されることはないでしょう。ただし、途中で振り向いてはなりません」
 ロトとその家族は言われたとおり、丘にむかった。しかしその途中、ロトの妻はソドムの暮らしを懐かしみ、振り返ったために、塩の柱にされてしまった。こうして、ソドムとゴモラは焼きつくされ、二度と再生されることはなかった。

■カリブの海賊の町■
 『新世界のソドム』ポートロイヤルは、カリブ海の中央に位置し、17世紀中ごろ、おおいに栄えた。カリブ海ルートの要衝であり、500隻もの船舶が停泊できる港を備え、貨幣鋳造所まであった。さらに、1人当たりの貨幣流通額はロンドンを超えるほどだったが、胸を張って誇れない事情もあった。というのも、この町が『カリブの海賊の町』だったからである。

 ある日、1人の牧師がポートロイヤルの船着き場に着いた。イエスの教えをひろめ、堕落した人々の魂を救うためである。しかし、その牧師は来た船と同じ船で帰ってしまった。神のみ使いであり、崇高な魂をもつ聖職者さえ、1日も滞在できないほど、町は腐敗していたのである。
 賭博場、売春宿、居酒屋がところ狭しとたち並び、海賊や人殺し、悪徳官吏らで、町はにぎわっていた。さらに、臭いをかぐだけで気絶しそうなラム酒までが、人々の良心をむしばんでいた。それはカリブの海賊の楽園であり、世界のすべての悪徳が集まる場所であり、聖人には1日たりとも暮らせない町であった。それでもこの町は、れっきとしたイングランド国籍だったのである。

■征服者たち■
 エリザベス女王が統治するカリブの海賊の町?地球上で、このような奇妙な町が生まれたきっかけは、コロンブスの新大陸発見までさかのぼる。政治的能力は乏しいものの、抜群の航海術をもつコロンブスは、1492年10月12日バハマ諸島の小さな島を発見する。コロンブスは島に上陸し、島民の前で誇らしげに『スペイン領』を宣言した。代々島で暮らす島民にしてみれば、仰天するような話だが、言葉が通じないのが幸いした。

 このコロンブスの発見をきっかけに、ヨーロッパ人による地球規模の侵略が始まる。地球の一体化、つまり今で言う世界のグルーバル化が始まったのである。コロンブスの発見から30年、同じスペインのトレジャーハンター、コルテスがアステカ文明を征服。さらにその11年後、コルテスから資金援助を取りつけ、征服手法まで学んだピサロは、ペルーのインカ帝国を滅した。ピサロは、大学中退のコルテスとは違い、字を読むことすら困難だったが、その残虐さと、持ち前の無鉄砲さで歴史年表に名を刻んだ。こうして、スペイン王室は、新大陸侵略のさきがけとなった。しかし、ヨーロッパ世界の欲深いライバルたちが、指をくわえて見ているはずがなかった。

■カリブに溢れる海賊たち■
 歴史は、複雑にからんでいく。1517年、ルターの宗教改革で、ヨーロッパ世界は混乱期に入った。フランスでは、同じキリスト教徒が、カトリック派と改革派に分裂し、戦争にまで発展する。カトリック派は、改革派を侮蔑をこめて『ユグノー』と呼んだが、彼らの一部は新天地を求め、カリブ海にやってきた。しかし、その需要をささえるほどの仕事はなく、その多くはカリブの海賊となっていった。彼らは、さっそく、新大陸の収奪品を運ぶスペイン船を襲いはじめた。

 一方、スペインの支配下にあったオランダでは、1568年から独立運動が始まる。カトリックの擁護者を自認するスペインに対し、オランダはその反対の改革派となった。1600年に入り、オランダは東インド会社、西インド会社をつぎつぎと設立、世界貿易の征服にのりだす。
 イングランドやフランスの株式会社は、航海ごとに会社を精算したが、オランダの株式会社は、10年間は資本を返却する必要がなかった。そのため、オランダ東インド会社は、より長期的視野に立つ経営が可能となった。こうして、オランダ船は、カリブ海にもやってきた。そして、その最初の仕事は『貿易』ではなく、スペイン船の襲撃だった。つまり、オランダまでが、カリブの海賊と化したのである。

 一方、イングランドでも、スペイン王室を悩ます事件が勃発する。政治的能力に優れるが、芸術と女性に目がない国王ヘンリー8世は、離婚を認めないカトリック教会を離脱、イングランド教会を設立したのである。こうして、イングランドもまたカトリックと縁を切り、スペインと対立する立場となった。
 さらに、スペインの不幸はつづく。エリザベス1世の治世がはじまると、歴史年表にそのまま名がのる希な海賊、フランシス ドレイクがあらわれる。彼もまた、スペイン船を略奪し、結果的にイングランドの国益に貢献したのである。エリザベス1世を後ろだてにしたドレイクは、大艦隊の提督にのぼりつめ、ついにはスペイン無敵艦隊をも壊滅させる。この事件は、歴史上もっとも有名な海戦の一つとなった。

■バッカニア■
 こうして、カリブ海世界は、フランス、オランダイングランドの海賊たちであふれかえり、スペインの不幸も加速していった。スペインが新大陸から収奪した財宝は、カリブ海で海賊に奪われ、スペイン国王の元にとどくことはなかった。もちろん、すべてが犠牲になったわけではないが。
 この略奪者たちは、パイレーツ(海賊)ではなく、バッカニアと呼ばれたが、その定義は明確ではない。パイレーツは私的略奪に終始し、バッカニアは海賊をビジネスとする。パイレーツは私的略奪者だが、バッカニアには国家の後ろだてがある、等々。しかし、スペインにしてみれば、どうでもよいことであった。呼び名がなんであれ、略奪されることに変わりはなく、どれもこれも忌まわしいカリブの海賊に違いなかった。

■審判の日■
 そして、このバッカニアの一大拠点となったのが、ポートロイヤルだった。その歴史は、17世紀中頃、イングランドがスペイン領であったこの地を攻略したときから始まる。その後、ポートロイヤルは、バッカニアの町として大いに栄えた。彼らは、この町を拠点として、周囲の植民地を攻略し、略奪し、世界中の悦楽をむさぼったのである。
 しかし、神がソドムを許さなかったように、ポートロイヤルにも最期のときがきた。1692年、巨大地震がこの町を襲ったのである。大地が大きく裂け、人々を呑み込み、再び閉じ、首だけが地上にころがった。それを、犬がむさぼったという。やがて、大津波がおしよせ、町の大半は海に沈み、跡形もなくなった。こうして、カリブの海賊たちがこよなく愛した天国世界は消滅した。まさに、新世界のソドムとなったのである。

参考文献:増田義郎監修「海賊大全」東洋書林

by R.B


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