■ユダヤ人■
ユダヤ人は、なぜ差別され、迫害されるのか?なぜ、多数のユダヤ人が虐殺されてきたのか?ユダヤ人の受難はいつまで続くのか?そして、この問いは、ユダヤ人と対立するパレスチナ人にも、同じ意味を持っている。ユダヤ人国家イスラエルと、アラブ諸国との紛争は、4度の中東戦争をへて、いまだ終結していない。2006年7月12日から始まったイスラエルとヒズボラとの紛争では、すでに1200人が死亡したが、このような犠牲はすでに日常化している。
ユダヤ人が最新兵器でパレスチナ人に対抗するのは、彼らのテロを怖れてのことだが、パレスチナ人がテロ的行動に出るのは、ユダヤ人のようなハイテク兵器を持たないからである。人が人である以上、好んで殺し合うことはまれだ。「人を殺すのは間違っている」的論法で解決できる世界に、彼らは生きていない。彼らは、迫害と虐殺の被害者であり、同時に、加害者でもあるのだ。そして、いつ終わるともしれぬこの戦いは、すでに3000年の歴史を刻んでいる。つまり、この潮流には、個体を超えて受け継がれた民族遺伝子がかかわっている。
『ユダヤ人』は、ヘブライ人、イスラエル人とも呼ばれるが、その定義は難しい。宗教的要素と人種的要素の二面をもつからである。一般的には「ユダヤ教徒であること」または、「母親がユダヤ人であること」を満たせば、『ユダヤ人』と言ってもいいかもしれない。前者は宗教的要素から、後者は人種的要素から定義されている。実際、イスラエルの国会は「ユダヤ人とは、ユダヤ人ないしユダヤ教への改宗者を母として生まれた者」という定義を立法化している。このような、ユダヤ人のアイデンティティへのこだわりは、迫害、差別、虐殺の歴史によっているのかもしれない。
■迫害の始まり■
『ユダヤ人』という言葉から連想されるのは、『アウシュビッツ強制収容所』、『ホロコースト』、『ナチス』、『ヒトラー』、『人種差別』、『迫害』、『虐殺』。どれもこれも暗く陰惨なものばかりだ。そして、これら血なまぐさい言葉の羅列は、たった1つのキーワードに集約される。差別と迫害。
ユダヤ人に対する差別と迫害の歴史は、古くて長い。歴史上、最初に確認される迫害は、紀元前13世紀の『出エジプト』である。その詳細は、旧約聖書の『出エジプト記』に記されているが、チャールトン ヘストン主演の映画『十戒』で、日本でも知られるようになった。この頃、ユダヤ人の一部はエジプトの地で暮らしていたが、すでにエジプト新王国による差別と迫害を受けていた。
やがて、予言者モーセが現れ、ユダヤの民を率い、エジプトを脱出。その後、聖なるシナイ山の頂上で神ヤハウェとの契約をさずけられた。これがのちのユダヤ教へとつながっていく。この出来事は、ユダヤ人にとって、とりわけ重要な意味をもっている。なぜなら、これがユダヤ人への最初の迫害であり、ユダヤ人を特徴づけるユダヤ教の起源となったからである。
モーセの死後、後継者ヨシュアにひきいられたユダヤ人は、ヨルダン川をわたり、イェリコの町とその地域を征服する。その後、紀元前11世紀頃には、サウル王のもとで建国をなしとげ、後継者ダビデ王およびソロモン王の治世で、最盛期をむかえた。ところが、その繁栄も長くは続かなかった。ソロモン王の死後、王国は北方の北イスラエル王国と、南方のユダ王国に分裂したのである。
その後、 北イスラエル王国は、紀元前8世紀にアッシリア帝国に、ユダ王国は、紀元前6世紀に新バビロニア王国に、それぞれ征服された。このとき、ユダ王国の人々はバビロンに強制移住させられたが、これが教科書にも登場する有名な『バビロンの捕囚』である。むろん、全員が捕虜になったわけではなく、多くのユダヤ人が虐殺された。『出エジプト』につづく、第2のユダヤ人迫害であった。
その後、新バビロニアは、新興勢力 アケメネス朝ペルシャに滅ぼされた。ペルシャは、新バビロニアやアッシリア帝国に比べ、寛大な帝国であった。納税を守り、謀反などおこさなければ、習慣や文化は保護されたのである。歴史上、残酷な統治知られるアッシリア帝国とは天地の開きがある。アッシリアで反乱を起こせば、ただではすまなかった。首謀者と側近は、身体の皮をはがされ、壁に貼りつけられたのである。これ以上の見せしめは思い当たらない。
新興国ペルシャの寛大さは、ユダヤ人に平和をもたらした。紀元前538年、強制移住されられていたユダヤ人は、エルサレムに帰還することが許されたのである。彼らは帰還後、神殿を再建し、その後、唯一の神ヤハウェを信じるユダヤ教が成立した。こうして、彼らはユダヤ人と呼ばれるようになった。
■イエス■
『出エジプト』と『バビロンの捕囚』をみれば、ユダヤ人が、3000年も前から、差別と迫害の中にいたことがわかる。しかも、特定の反逆者や罪人に限らない『民族』という大きなくくりの中で。さらに、その1000年後、ユダヤ人迫害を決定づける歴史的大事件がおこる。イエス キリストである。なぜ、イエス キリストがユダヤ人迫害を決定づけたのか?映画『パッション』を観れば、2時間で理解できる。
この映画のテーマはたった一つ、『イエス キリストの受難』だ。イエスは、ひたすらムチ打たれ、血まみれになり、ゴルゴダの丘で十字架刑に課せられる。そして、その執行人はユダヤ人だった。あらに、銀貨30枚でイエスをうったユダも、ユダヤ人。イエスを迫害し、抹殺したのは、ローマ帝国でも、ヘロデ王でもなく、ユダヤ人である、という主張がそこにある。
このことは、キリスト教本流をなす宗派や、イスラム教の信者たちに、ユダヤ教徒への根強い不信感と憎悪を植えつけた。そして、このユダヤ人への黒いフィルタは、差別と迫害とともに、イエスの死後2000年経過した現代まで存続している。神道や仏教そして、クリスマスまで祝う大らかな日本人には、理解しがたい世界である。
イエスの死後、キリスト教は西欧世界で急速に広まっていった。ローマ帝国時代、キリスト教徒たちは、さまざまな差別、迫害、虐殺にさらされたが、313年、ミラノ勅令が公布される。この勅令で、キリスト教が公認されただけではなく、教会がそれまでの迫害でうけた損害の賠償までが保証されたのである。こうして、キリスト教徒は完全な勝利を得たが、逆に、ユダヤ教徒の頭上には不吉な暗雲がたちこめた。ユダヤ人に対する差別と迫害がはじまったのである。
中世に入っても、ユダヤ人への大規模な迫害がつづいた。たとえば、中世最大の歴史イベント『十字軍の遠征』。この遠征が始まった1096年、聖地エルサレムはイスラム教徒の支配下にあった。その聖地を、奪回すべく編成されたのが、キリスト教徒による多国籍軍『十字軍』だった。ところが、エルサレムを奪回した十字軍は、イスラム教徒のみならず、ユダヤ人をも大量に虐殺したのである。ユダヤ教とキリスト教は、ともに旧約聖書を聖典とする同根の宗教であるにも関わらず。この虐殺は、ユダヤ人への差別や迫害が、いかに根深いかを示唆している。
また、1881年、東ヨーロッパでは、『ポグロム』とよばれる大規模なユダヤ人迫害も起こっている。ポグロムとはロシア語で、ユダヤ人にたいする略奪、虐殺を意味している。ユダヤ人に対する差別や迫害が、全地球規模、全時代におよんでいることがわかる。
■ナチス■
そして、1930年代、歴史上最も有名なユダヤ人迫害が起こる。ナチス政権による迫害だ。『ナチス=ヒトラー=ユダヤ人迫害』という図式は、新しい世紀が始まった今でも色あせてはいない。この時のユダヤ人迫害は、1933年頃からはじまったが、初めは宗教というより、むしろ人種的理由によっていた。1850年代、フランスの外交官で文筆家でもあったゴビノーは、人種的な優劣を論じた『人種不平等論』を発表、その中で、アーリヤ人種こそ、他のあらゆる人種に優越すると主張した。
そもそも、DNAの構造が解明されたのは1953年であり、ゴビノーの説に科学的根拠があったわけではない。また、アーリア人とは、中央アジアで遊牧をしていた民が紀元前1500年以降、西北インドやイランに進出した人々をさし、人種としてのアーリヤ人が存在するわけではない。にもかかわらず、ナチス政権は、この書をユダヤ人への差別と迫害を正統化するためのバイブルとして利用した。これに、先の宗教的な憎しみも加わり、単なる差別から、迫害、虐殺へとエスカレートしたのである。
ナチス政権によるユダヤ人への差別、迫害、虐殺は、凄まじいものだった。まず、ユダヤ人を法律の保護の対象から除外するという途方もない特別立法が可決された。これは、財産権・生存権・裁判権の消滅を意味している。つまり、ユダヤ人は財産を没収されたり、不当に逮捕されたり、裁判もなく処刑されることが、法の上で認められたのである。この時のユダヤ人への迫害は、まともな人間が、どれほど簡単に狂気に走れるかを証明してみせた。ドイツは歴史的にみても、勤勉と合理性で象徴される大国である。しかも、ナチス政権が誕生する前のワイマール憲法は、世界でもっとも民主的な憲法と称賛された。このような国が、わずかの期間で一変したのである。
ナチスの強制収容所で起こった迫害や虐殺や人体実験は、ヒト族の中に悪魔がまぎれ込んでいることを証明している。最終的に、600万人ものユダヤ人が殺害されたとされるが、その数より恐ろしいのは、個別の所業である。生身の人体に対する恐ろしい実験や虐殺は、『夜と霧』にくわしい。『夜と霧』は、ユダヤ人フランクルが自らのアウシュビッツ収容所での体験をもとに記したもので、歴史的な書とされている。とはいえ、自信をもって人に奨められる書とはいえない。感受性が強い人なら、トラウマになる可能性もある。中でも恐ろしいのは、ブッヒュンワルト強制収容所長の妻が作ったという電気の笠。この笠は、彼女が殺した囚人の皮膚で作られていた。
このような恐ろしい犯罪が、二度と起こらないように、事実は詳細に公表すべきだ、という主張がある。だが、犯罪を犯す資質のある者に、「こういうのも、ありだ」と教えることにもなる。つまり、犯罪のハウツー本になる可能性もあるのだ。送り手が、どれだけ正当性を主張してみたところで、書の価値を決めるのは受け手である。善を生むか悪を生むかは、受け手の手の内にあり、送り手の意図など意味を持たない。つまり、『言論の自由』を標榜するメディアの真意は、良心にもとづいているわけではない。
また、ヒトラーによるユダヤ人の差別や迫害にまぎれて、露見が遅れた虐殺も存在する。第二次世界大戦中に起こった『カチンの森の大虐殺』である。この事件は、政治的理由で、永らくタブーとされたこと、アウシュビッツ収容所などの虐殺に隠れて目立たなかったことから、意外に知られていない。だが、ユダヤ人迫害を証明する重要な歴史的事実である。
この事件は、1943年4月、ロシアのスモレンスク郊外にあるカチンの森で始まった。ドイツ軍が、4000名を超えるポーランド軍将校の遺体を発見したのである。ドイツのゲッペルス宣伝相は、ラジオでこの事実を公表し、ソ連側を激しく攻撃した。一方、ソ連側も、ドイツ軍の犯行だと断言し、反撃する。この事件は、早い段階からソ連側の仕業だとわかっていたが、ナチスドイツを悪者にしたい連合国側の思惑から、ながらくタブーとされたのである。そして1990年、ソ連は正式に自国の虐殺であると認めた。
■ユダヤ人を救った人々■
人間を、民族や宗教の違いで差別、迫害、虐殺することが罪であることは、たいていの人が知っている。だが、迫害が国家規模ともなれば、それに抵抗するには勇気がいる。シンドラーや、杉原千畝(すぎはら ちうね)は、そのような勇気を備えた人物であった。
ドイツの実業家オスカー シンドラーは、強制収容所に送られるはずだった多くのユダヤ人を、自分の工場に雇い入れることで、命を救った。さらに、ドイツの敗戦が濃厚となった1944年秋、シンドラーは、工場を故郷のチェコに移転することを計画。このとき作成された従業員リストは『シンドラーのリスト』とよばれ、1200人のユダヤ人の命を救った。シンドラーは戦後イスラエルに招待され、『正義の人賞』が贈られている。この逸話は、スピルバーグが制作した映画『シンドラーのリスト』によって、広く知られることとなった。この映画は、あえて、モノクロフィルムを使い、作り手の感情を抑えた淡々とした描写で、深いリアリズムを実現している。作品の評価も高く、作品賞をはじめアカデミー賞7部門を獲得した。
杉原千畝(すぎはら ちうね)は、日本のシンドラーと言われる人物である。ナチスがポーランドを占領したさいに、多数のユダヤ人が隣国のリトアニアに逃れてきた。彼らは、日本の領事館にもおしかけたが、日本経由で外国に逃れるための通過ピザを取得するためであった。日本の通過ビザの発給条件は厳しいものだったが、リトアニア領事館員の杉原千畝は、ほとんど無制限にビザを発給した。その数は数千枚を超えるといわれる。こうして、多数のユダヤ人の命が救われた。杉原千畝もまた、戦後、イスラエルから『正義の人賞』が贈られている。
■パレスチナ問題■
このように、ユダヤ人迫害にからむ問題は深刻なものだが、現代に入り、危険の度合いはさらに増している。それはパレスチナ問題、より大きくは、中東問題とよばれるが、宗教的憎悪を超えて、ユダヤ民族とアラブ民族のハルマゲドン(最終戦争)さえ予見させる。すでに、迫害や虐殺の次元を超えているのだ。それにしても、どういういきさつで、このような状況に陥ったのか?
ことの発端は、イギリスの2枚舌外交にあった。1916年、イギリスのエジプト高等弁務官マクマホンと、アラブの指導者フサインとの間にある書簡がかわされた。この協定は、アラブがオスマン帝国に反乱をおこす見返りに、第一次世界大戦後、アラブ国家の独立を約束する、というものだった。アカデミー賞7部門を獲得した歴史的映画『アラビアのローレンス』はこの歴史をテーマにしている。広漠たる砂漠、命を賭けた戦い、陰謀、裏切り、そして友情、男のロマンをかきたてる筋立てで、根強いファンは多い。
イギリスは、アラブに対し、このような甘い約束をする一方で、1917年、ユダヤ人にも同じような約束をした。バルフォア宣言である。その内容は、パレスチナの地に、ユダヤ人国家の建設を容認するというものであった。イギリスは、このユダヤ人国家をとおして、パレスチナに影響力を保持したかったのである。
だがどう見ても、この2つの約束はダブルブッキングで、その後何が起こるかは明らかだった。ユダヤ人とアラブ人の根幹をなすのは、ユダヤ教とイスラム教、つまり、一神教である。一神教においては、神は一つであり、他の神々はすべて偽りの神となる。神と悪魔、善と悪、勝利か敗北か、完全な二元論が支配するのがこの世界だ。彼らには、日本人が好む妥協や落とし所というものがない。中東における紛争は、歴史の必然なのである。
《つづく》
参考文献:フランクル著作集『夜と霧』 みすず書房
by R.B |