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 週刊スモールトーク (第62話) 戦車の歴史T〜タイガーとT34〜

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戦車の歴史T〜タイガーとT34〜

■機動部隊
 「戦場の華は陸軍」は今も昔も変わらない。空軍や海軍は見た目は派手だが、しょせん戦争の支援戦力。敵の首都を制圧し、王手をかけられるのは陸軍だけ。

 敵の船を何百隻沈めてみたところで、陸上にいる指導者は痛くもかゆくもない。爆弾を何万発落としても、指導者は地下壕にいる。陸軍が敵の議事堂を占領して、指導者をふん捕まえない限り、戦争は終わらないのだ。これは、人類1万年の歴史で、今も変わらない戦争の大原則である。

 そして、陸軍の主戦力となるのが機動部隊である。機動部隊は、戦場を歩兵の何倍もの速度で移動し、強力な打撃力で敵を蹴散らす。古代ではチャリオット、次に騎馬兵、そして、現代の戦車へと進化している。

■古代の戦車
 ところで、戦車といえば「タイガー戦車」。戦車に興味がない人でも、名前ぐらいは聞いたことがあるだろう。タイガー戦車は、第二次世界大戦で活躍したドイツ陸軍の重戦車である。分厚い装甲、長大な戦車砲、いかついキャタピラ。こんな戦車の象徴を最も体現しているのがタイガー戦車なのだ。

 一方、歴史上最も古い機動部隊はチャリオットである。紀元前2000年頃、カスピ海周辺の草原地帯でアーリア人が遊牧生活を送っていた。彼らは、移動手段や住居として、馬車を利用したが、それを改良したのがチャリオットである。現代の戦車になぞらえて「古代の戦車」とも呼ばれることもある。

 チャリオットは、2、3人が乗れる2輪の台車を、2頭の馬に引かせる小型の馬車である。1人が馬をあやつり、一人が弓を射る。結果として、弓兵が高速で戦場を移動することになり、非常に強力な機動部隊となった。やがて、アーリア人はこの「チャリオット」とともに南下を始め、遠く、インド、イラン、バルカン半島、ヨーロッパ中央部にまで進出した。

 紀元前1600年、インドのインダス川流域に進出したアーリア人は、古代インダス文明に代わって、インドの支配者となった。紀元前1500年頃、バルカン半島に南下したアーリア人は地中海にまで達し、クレタ文明を滅ぼした。ところが、このような華々しい歴史は、後に「アーリア人至上主義」を生みだした。たとえば、19世紀、フランスの外交官ゴビノーは著書「人種不平等論」の中で、アーリヤ人種の優越性を唱えた。それがそのままナチスのユダヤ人迫害のよりどころとなった。

 ところが、紀元前900年頃、ウクライナで新しい機動ユニットが出現する。「騎馬兵」である。それまでも、騎馬兵らしきものは存在したが、どちらかという「乗馬兵」。裸の馬にそのまま乗るので、剣をふりあげた途端に落馬。乗るだけで精一杯だった。ところが、ウクライナで出現した騎馬兵は、画期的な補助具「鐙(あぶみ)」と「鞍(くら)」を装備していた。

 鐙(あぶみ)は、馬に乗るときの踏み台で、移動時には、身体を支える役割を果たした。また、鞍(くら)は、人間の尻と馬の背の間にあって、乗馬を安定させた。この2つの発明により、騎馬兵は安定した移動と攻撃が可能になり、チャリオットを駆逐した。チャリオットに比べ、荷車がない分、高速で小回りが効き、兵員も1人ですんだからである。

 こうして、攻守にバランスのとれた歩兵と、スピードと打撃力に優る騎馬兵の組み合わせが、陸軍の基本形となった。そして常に、戦況の決定するのは騎馬兵、そんな戦闘がナポレオンの時代まで続いたのである。

■マークT〜史上初の戦車〜
Mark 1 歴史上、初めて実戦投入された戦車はイギリスの「マークT」である。左のイラストを見ると、どっちが前でどっちが後ろか分からない。この風変わりな戦車は、1915年、第一次世界大戦に登場したが、なんと、農業トラクターの改造車だった。とはいえ、それなりに威圧感はあるし、全長は8メートルと現代の戦車と変わらない。なかなかのものだ。

 マークTのモノクロ映像も残っているが、ノソノソと動く姿はいかにも頼りない。さすがは農業トラクター。とはいえ、一応キャタピラ駆動なので、高さ1メートルぐらいの障害物なら何とか乗り越えられる。ということで、この不細工な機動ユニットは膠着状態にあった西部戦線に投入された

 1914年7月に第一次世界大戦が始まったが、1年もすると、西部戦線はすっかり膠着した。お互いに溝やトンネルを掘って隠れて撃ち合う塹壕戦になったからである。兵士は、細長い溝に潜んでいるため、鉄砲や大砲を撃ってもなかなか当たらない。かといって突撃しようものなら、狙い撃ちにされる。戦場は機動力・防御力・打撃力の三拍子そろった新兵器を必要としていたのである。

 そこで、登場したのがマークTだった。間に合わせの農業トラクター改造戦車だったが、それなりの戦果はあった。マークTの装甲は鋼鉄製だったので、大砲の直撃弾を受けない限り、壊れなかった。そのため、敵の攻撃を気にせず前進でき、機関砲で敵兵をなぎ倒すこともできた。こうして、敵陣突破の切り札「戦車」が誕生したのである。

 戦車が出現して、塹壕戦の意味はなくなった。溝に潜んでいても、戦車が突進してくれば、踏みつぶされる。新しい陸上戦の幕開けだった。マークTを開発したイギリスはもちろん、敵国のドイツも戦車の重要性を認識した。ところが、当時の戦車には問題があった。速度は遅いし(トラクタ並み)、攻撃力もいまいち(機関銃)、足回りやエンジンは頻繁に故障した。こうして、世界中で戦車の開発競争がはじまったのである。

■電撃戦〜陸上戦の革命〜
 戦車の本格的運用は、第二次世界大戦から始まった。そしてこの時代、戦車と言えばドイツ。前述したように、戦車オタクでなくとも、無敵のタイガー戦車を知る人は少なくない。
ドイツ車(ベンツ・VW・AUDI・BMW)は頑丈 → 戦車も頑丈
という固定観念も半ば常識になっている。ところが、意外なことに、第二次世界大戦当初のドイツ戦車はコマネズミのような小型戦車だった。むしろ、フランス戦車の方が防御力も攻撃力も優っていたのである。そこで、ドイツとフランスの戦車を比較してみよう。

 開戦当初、ドイツの主力戦車は「V号戦車」だったが、重量は20トン、主砲は37mm 砲。37mm砲とは、大砲の口径が37mmということ。もちろん、口径が大きいほど、大きな砲弾が発射できるので貫通力も大きい。一方、フランスの主力戦車「シャールB1」は、重量は32トン、主砲は47mm砲。一般論として、重い戦車ほど防御力も高い。軽四とベンツが衝突すれば、どちらが勝つか、と同じ原理である。ということで、防御力、攻撃力ともにフランス戦車がドイツ戦車を上回っていたのである。

 ところが、第二次世界大戦で、ドイツがフランスに侵攻すると、フランスはたった3週間で降伏した。じつは、ドイツ陸軍の強さは、戦車のスペックではなく運用にあったのだ。これが「電撃戦」で、ドイツ陸軍のハインツ グデーリアン将軍が編み出したと言われる。それまで、陸軍の進軍速度は歩兵だった。歩兵の歩く速度に合わせ、戦車がノロノロ付いてきたのである。まぁ、当たり前の話で、戦車のスピードに合わせれば、歩兵は置き去りにされる。

 ところが、グデーリアンは進軍速度を戦車の速度に合わせたのである。グデーリアンの電撃戦とは次のようなものであった。まず航空部隊が敵を空爆し、ボコボコにする。その後、兵員を乗せた輸送車両が戦車とともに急進撃、目標点に一気に攻め上がる。ただ、戦線が伸びやすく、左右からの挟撃で分断される危険もあった。ところが、グデーリアンはこう考えた。そのスキを与えないほど迅速に進撃すればいいのだと。つまり、この頃、ドイツ軍が重視したのは高速の軽戦車で、タイガー戦車のような重戦車ではなかった。

 もちろん、電撃戦は戦場を俯瞰した戦術論であって、戦場の一点を拡大すれば、くんずほぐれつの泥臭い戦闘が展開された。また、電撃戦のもう一つの特徴は、戦車と航空機の無線による連携にあった。航空機から見れば、陸上の戦況は一目瞭然である。その情報を戦車に無線連絡すれば、戦車は優位に戦える。つまり、ドイツ戦車部隊は陸上兵器なのに、空から鳥瞰できたのである。意外かもしれないが、この時代、無線機を完全装備した戦車部隊はドイツ軍ぐらいだった。ということで、電撃戦に必要なのは軽戦車で、重量級のタイガー戦車など不要だった。ソ連軍と戦うまでは ・・・

■ドイツ Vs ソ連
 ドイツの秘密兵器「電撃戦」は、緒戦で目覚ましい戦果を上げたが、宿敵イギリスには通用しなかった。ヨーロッパ大陸とイギリスの間には、ドーバー海峡が横たわる。無敵ドイツ機動部隊も海を疾走することはできない。そこで、ドイツ軍は爆撃でイギリスの戦意をくじこうと、連日、空軍の大編隊を送りこんだ。ところが、ドイツ空軍は無惨な敗北を喫する。最新鋭のレーダーと連携したイギリス航空部隊がドイツ軍機を大量に撃墜したのである。思いもよらぬドイツの挫折だった。この敗北が、ドイツのV2ロケット開発にも影響をおよぼすことになる。

 しかし、頭の切り替えが速いヒトラーは、イギリスをあきらめ、矛先をソ連に向けた。ソ連軍は、兵器が劣悪で、兵士の士気も低く、士官も無能、とヒトラーは高をくくっていた。ソ連など、ドアを一蹴りすれば、すぐに降伏すると信じていたのである。

 1941年6月22日、ヒトラーの気合いの入った演説とともに、歴史上最大の陸上戦が始まった。 「バルバロッサ作戦」である。ドイツ軍は全兵力の80%にあたる300万もの大軍を投入したが、ソ連軍もほぼ同数で迎え撃った。結果、ベルリンからモスクワまでの1600kmにわたる長大な戦線で、600万もの大軍が激突したのである。日本の中堅都市10個分の人口である。

■T34 登場!
T34 バルバロッサ作戦は、フランス侵攻作戦と同じように、ドイツの快進撃ではじまった。ヒトラーはモスクワは冬までには陥落するだろうとご機嫌だった。ところが、1941年7月3日初夏、ドイツ第18装甲師団は迫り来るソ連機動部隊に、見たことのない戦車に遭遇する。ドイツ軍はV号戦車で応戦したが、主砲の50ミリ砲が命中しても、はね返される。逆に反撃され、V号戦車は火だるまになった。

 そこで、ドイツ軍は最強のW号戦車を投入、75ミリ砲で砲撃したが、結果は同じ。ありえない ・・・ ドイツ軍はパニックに陥った。それでもW号戦車の機動性をいかし、敵戦車に肉薄、キャタピラに命中させ、やっと停止させた。この謎のソ連戦車こそ、第二次世界大戦中、最高傑作といわれる「T34戦車」だった。ドイツ軍の対戦車砲や戦車砲では、T34を貫通できない、この事件は後に「T34ショック」とよばれた。

 昔、近所の帰還兵から、怖い話を聞かされた。彼は中国大陸でソ連軍と戦ったのだが、ソ連兵が日本兵の腕時計を奪うために、手首を切断するのだという。どうも、腕時計のはずしかたが分からないらしい。というわけで、T34戦車は農村出身者でもすぐに操縦できるよう設計されていた。まわりくどい説明だが、これがソ連式だ。

 次に、T34を詳細に検証しよう。T34の最大の特徴は、歴史上初の傾斜装甲にある。つまり、戦車のボディーが傾斜しているので、直進してくる砲弾を反射しやすい。一方、T34のライバル「タイガー戦車」は、砲塔は円筒形なので、砲弾と直角に衝突する可能性がある。その分、分厚い装甲が必要だった。また、T34のエンジンは飛行船のV12ディーゼルエンジンが転用されたため、燃費が良かった。しかも、ディーゼルエンジンにしては構造がシンプルなので、メンテナンスも容易だった。

 T34は、防御力だけでなく、攻撃力も高かった。主砲は76ミリ砲で、この車重では世界最強。さらに、T34には、製造上のメリットもあった。T34の砲塔は鋳造だったのである。鋳造とは、鋳型に鋼鉄を流し込んで一枚岩のように製造する方法で、手間がかからず、素速く製造できる(反面、強度が低い)。一方、タイガー戦車をはじめほとんどの戦車は、鍛造鋼板(叩いて鍛える)を貼り合わせた構造で、手間もカネもかかった。ただし、純粋な強度なら、「鍛造>鋳造」である。

 T34のもう一つの特徴は、キャタピラの幅が広いこと。キャタピラの幅が広いほど、大地との接地面積が大きくなり、駆動力も増す。また、雪の上でも雪にめりこむことはない。かんじきと同じ理屈だ。つまり、機動力においても、T34 は群を抜いていたのである。

 T34は攻撃力・防御力・機動力に優れ、メンテナンスが容易で、量産も可能。まさに、万能の戦車だった。知名度はタイガー戦車に及ばないが、モノはタイガー戦車の上という軍事評論家も多い。とはいえ、弱点もあった。それは戦車のスペックではなく、運用に起因している。T34戦車部隊は、互いに連携することなく進軍し、バラバラに攻撃し、勝手に撤退したのである。

■悲運のパンター戦車
 ドイツ軍は、T34に対抗する新型戦車の開発に迫られた。その結果、生まれたのが「パンター戦車」だった。T34同様、傾斜装甲で防御力は強化され、主砲は長大な75ミリ70口径砲が採用された。ここで、75ミリ70口径砲とは、口径が75ミリで、砲身の長さが口径の70倍。同じ口径でも、砲身が長いほど砲弾を加速する距離が長くなり、初速度が増す。結果、運動エネルギーが大きくなり、貫通力も増す。パンターの75ミリ長身砲は、1km離れたT34の装甲を撃ち抜くことができた。

 しかし、パンターは何から何までドイツ式だった。スペックはいいのだが、複雑で量産がきかず、すぐに故障したのである。1943年、パンターは歴史上最大の戦車戦「クルスクの戦い」でデビューしたが、故障が頻発し、ドイツ兵の信頼を失った。

■タイガー戦車 〜最強の虎〜
タイガー戦車 さていよいよ、歴史上最強の重戦車「タイガー」。ティーガー、またはティーゲルとも呼ばれるが、プラモデルの世界でも一番人気。ただ、プラモデルの世界では、最強とされるタイガーU型(キングタイガー)よりも、型古のタイガーT型のほうが人気がある。人気の秘密は、何と言っても、半ば神格化された強さと、そのスタイルにある。ゴツゴツしているのにどこかスマートで、圧倒的な存在感がある。

 店に並んでいるプラモデルは、たいてい量産品だが、まれに、スポット商品が出ることがある。一定数を作って、鋳型を捨てるので、追加生産はなし。当然、プレミアがつく場合もある。1998年、田宮模型から「ドイツ重戦車タイガーT極初期生産型」というスポット商品が発売された。この極初期生産型は、1942年末、チュニジアのロンメル将軍率いるアフリカ軍団に渡されたものだ。

 真っ白な砂漠とヤシの木、その日陰にたたずむ、ロンメル軍団。ジオラマで人気のテーマだ。このテーマに欠かせないのが、タイガーT極初期生産型だが、このスポット商品がでるまでは、普通のタイガーT型を改造するしかなかった。そのタイガーT極初期生産型がついに製品化されたのである!仕事なんかしている場合じゃない。

 5時の終業のチャイムとともに、行きつけの模型屋に飛んで行ったが、すべて売り切れ。あわてて、町中を捜しまくり、裏通りの小さな模型屋でやっと見つけた。なんと、2つもある!夢のような光景だった。値段も確かめず、2つとも購入したが、今でも組み立てずに、大切に保管してある。

 というわけで、プラモデルにもオタッキーな世界がある。戦車限定のプラモデル専門誌まであるのだから。この専門誌に掲載される戦車は、パッと見では、本物と見分けがつかない。作者はたいてい美大卒で、恐ろしくプロフェッショナルな世界である。

 プラモはさておき、本物のタイガー戦車は、その圧倒的な攻撃力と防御力で歴史にその名を刻んだ。T34の最大装甲は厚さ52mmだが、タイガー戦車は100mm。T34の2倍!厚さ10cmの鋼板を想像してみて欲しい。至近距離で命中しても、砲弾はタイガー戦車の装甲をノックするだけ。また、主砲の88ミリ砲は、本来、空を飛ぶ航空機を撃ち落とすための高射砲だった。そんなものを戦車に載せるなんて反則じゃないか、と捕虜のイギリス将校が言ったとか。

 こんな常識外の装甲は、当然、重量にも反映された。重量は56トンで、T34の2倍。当然、大出力のエンジンが必要だ。タイガー戦車は650馬力のガソリンエンジンが搭載されたが、それでも力不足だった。速度は遅いし、悪路はめり込んで動かないし、機動力は最低。

 犠牲になったのは機動力だけではなかった。過大な重量は、戦車の足回りにも大きな負担をかけた。結果、故障が頻発し、40km走ればどこかトラブルが発生したという。スペックはいいけど実用に耐えない、というのはよくある話。タイガー戦車もそのたぐいだった?

■シャーマン戦車 〜連合国軍の星〜
M4シャーマン戦車 1944年6月6日、第二次世界大戦末期、連合国軍はフランスのノルマンディーに上陸した。ヨーロッパをドイツから解放するためである。この史上最大の作戦で、連合国軍の主力戦車となったのが、アメリカの新型戦車「M4シャーマン」だった。

 M4シャーマン戦車は、GM、フォード、クライスラーなどアメリカの自動車工場で量産された。主砲は75ミリ砲で、攻撃力は十分。動力は、空冷9気筒の航空機用エンジンで、時速40kmと機動力も高い。また、操作も簡単で、自動車なみに運転することができた。さらに、構造がシンプルなので、故障が少なく、メンテナンスも容易だった。この連合国軍自慢のM4シャーマン戦車を迎え撃ったのが、ドイツのタイガー戦車だった。さて、軍配はどちらに?

■タイガー戦車のシャーマン戦車のスペック
 まず、タイガー戦車とシャーマン戦車のスペックを比較してみよう。タイガー戦車の最大装甲は厚さ100 mmで、M4シャーマン戦車が75mm。よって、タイガー戦車の勝ち。つぎに、攻撃力。タイガー戦車の主砲は88ミリ砲で、M4シャーマン戦車は75ミリ砲で、これもタイガー戦車の勝ち。最後に機動力。タイガー戦車が時速38km、M4シャーマン戦車は時速40kmで、M4シャーマン戦車の勝ち。また、砲塔の回転では、タイガー戦車は手動で3分、エンジンを使っても2分もかかったが、シャーマン戦車はそれよりも速く回転させることができた。つまり、標的を定める速度はシャーマン戦車の勝ち。

 戦闘に直接関係ないが、量産ではM4シャーマン戦車がタイガー戦車を圧倒した。タイガー戦車は、構造が複雑なため、同じ手間で、他の戦車なら3台つくれた。しかも、タイガー戦車は他の戦車との共通部品が少なく、量産効果も期待できない。一方、M4シャーマン戦車は部品も標準化され、シンプルな構造で、量産が容易だった。しかも、デトロイトの自動車工場の生産ラインで生産された。その差は生産台数にも表れている。タイガー戦車の生産台数は1300両、一方、M4シャーマン戦車は5万台。桁違いである。

■実戦 タイガー戦車 Vs M4シャーマン戦車
 さて、いよいよ、タイガー戦車とM4シャーマン戦車の実戦結果を見てみよう。まず、ノルマンディー上陸作戦の緒戦。ノルマンディーに上陸した400両のM4シャーマン戦車は、次々とタイガー戦車に破壊され、反撃のひまさえ与えられなかったという。また、ある戦場では、25両のM4シャーマン戦車が、待ち伏せしたタイガー戦車に遭遇、わずか30分で12両が撃破された。

 あるとき、タイガー戦車が発射した砲弾がM4シャーマンに命中したが、勢い余って、反対側の装甲版まで突き抜けてしてしまった。砲弾が貫通したため、シャーマンの乗員たちは命びろいしたという。なんとも笑えない話だ。砲弾が入って出て、鋼板2枚、つまり戦車2台分の装甲を貫通したことになる。恐ろしい打撃力だ。

 タイガー戦車の88ミリ砲は、1400mかなたのM4シャーマン戦車を撃ち抜くことができた。ところが、M4シャーマン戦車の75mm砲は、50mの至近距離でも、タイガー戦車を貫通できなかった。やがて、ドイツ兵は面白がって、M4シャーマン戦車をストーブと呼ぶようになった。砲弾が命中すると、たちまち炎上したからである。ということで、まるで勝負にならなかった。

 ところが、最初はやられっぱなしだったM4シャーマン戦車も、ようやく自分たちの優位点に気づく。数である。M4シャーマン戦車は4両1組となり、1両のタイガー戦車に挑んだのである。それでも、タイガー戦車を1両しとめると、M4シャーマン戦車は3両から5両が炎上していた。つまり、タイガー戦車はスペックだけでなく、実戦でも虎(タイガー)だったのである。

《つづく》

参考文献:
パウル・カレル「バルバロッサ作戦」学研

by R.B

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